カラダ、ナンカオカシイ。ヤメル?ヤスム?ツヅケル?

とあるサラリーマンの休職ブログ。体験記や仕事復帰(※今の会社とは限らない)に必要な情報を、綴る。

【振返り】新社会人から休職までの経緯

はじめまして、ヒロキです。

心療内科から『自律神経失調症』と診断され、現在『休職活動』しています。

 

休職から1ヶ月が経ち、少しずつではありますが、心に余裕が生まれました。

一方で、『再発したらどうしよう』という不安に向き合っています。

診断結果の症状や休職しているヒトのブログを調べるうちに、

異なる診断結果の休職者が共通して、『日記をつけることが治療につながる

と発信しており、これを機に始めてみようと思いました。

目的は『稼ぐこと』ではなく、『記録して自分を見つめなおすこと』 におき、

日々のささいなことにも興味を向け、投稿に努めてまいります。

 

(長いです。笑 あと殴り書きなので、多少の読みづらさはご了承ください。)

 

ボクと社会人生活

 こでは、就職活動という冒頭も含め、社会人生活を振り返ります。

ざっくりと、書きます。

就職活動

 

新人研修

 6ヶ月という長期間で、新人研修が実施されました。

研修は、共通研修と職種毎研修の2段階構成でした。

共通研修は主にビジネスマナーやITリテラシー

職種ごとの研修は、バッチ・オンラインでの開発演習。

ボクは総合職でしたが、『開発経験を積んでキャリアを考えたい』

という希望がとおり、開発職としてスタートしました。

ボクは6ヶ月の総合点でダントツ評価でした。※自慢です笑

 

現場業務

開発部署へ配属されました。休職までに2つの案件を経験しました。

どっちも大炎上で、いわゆる『火消し』でした。

(上司に聞いてみたら、『成績優秀ならやり遂げるだろ』という

 クソみたいな配属基準でした。笑 技術評価なし。)

 

1案件目(もうもえてる

テスターです。リリース直前の賛大炎上中の現場に放り込まれ、

主にバグ修正後のテストに取り組みました。

 

コラム:ザラキと超下位互換型ザオラル、みつめるがなかまにならない同期

夕方ごろ、部長が2千件以上のテストケースをボクと同期Sに渡し、

『今日までね!』と、しのじゅもんをとなえました。

死に物狂いでテストし、終盤に差し掛かるタイミングで、

『バグ修正が不適切だからテスト中止!』と、ふっかつのじゅもんをとなえました。

他の同期は、こちらをみつめて、あたたかくみまもっていました。

 

2案件目(すこしずつもえる

基本設計~リリース・保守。こっちは徐々に燃え、リリース前後は大炎上。

会社始まって以来ワースト5の案件と、周囲から恐れられるほどでした。笑

ボクはバッチ担当で、同じ現場に配属された同期S、請負のおじさん2人と

開発しました。

 

キホン終電で帰宅。進捗が遅れると、もれなく土日も出勤でした。

(終電前に帰宅できる日は、感動していました。笑)

※通勤時間は往復4時間です。

 

基本設計・詳細設計(はじめての設計、がんばるぞー!)

システムに関する資料は一切なく、プログラムと有識者からの

助言を頼りに、リバースエンジニアリング。(言語はCOBOL )

 

何十年も稼働し続け、資産・テーブルは莫大な数。

開発当初は共通化の思想がないのか、基本ハードコード。(値や機能)

10以上ものサーバと大量のデータ連携で、他サービスの影響調査も必要。

運用部署が事前、事後連絡なく資産を更新。(デグレ頻出)

 

。。。システム全容が、少しずつ分かるにつれて、

メンテ・管理されず肥大化した、地獄構造なのが見えてきた。

 

入社1年目の拙い調査が正確か、不安に思いつつ

その結果をもとに、改修個所を詳細設計。

準委任契約で請負のTLがレビューするが、

『大丈夫!』とテキトーで不安を煽るレビュー通過が続く

 

製造・単体テスト(量をこなして、製造速度をあげるぞー!)

詳細設計か不安を抱えつつ、製造・単体テストを実施。

請負が作成した単体項目をもとにテストをはじめるが、

お世話にも褒められない出来。(指摘しても作り直さないし)

証跡の基準も設けず、『分かるようにつくって』と一言だけ添えられる。

『おいおい、レビューそれでいいのか?』と回りくどく伝えたが、

『大丈夫!』と返答される。笑

 

当時、資産はSubversionで管理されるが、管理基準が確立された

オンラインとは異なり、バッチはそれすら設けない。

(TLが改修後の資産を、ファイルサーバやSVNのあちこちで管理しはじめ、

どれが最新版資産か不明になり、PM・PLに呼出され怒号を浴びる)

 

開発体制図上ではボクは末端なので、指摘はできるが裁量はほとんどない。

不安が増す中、前に進むしかないのでひたすらコーディング。

 

テスト(結合・システム・受入)(走って逃げたいぞー!)

正直、当時の記憶はほとんどありません。

※この辺から週6~7日勤務、終電帰りが始まりました。

 

案の定、調査結果は圧倒的な調査不足だと痛感。

あちこちでバグ発生。再調査して、ひたすらデバッグ

いわゆる『もぐらたたき』が、ここから半年以上続く。

 

また、オンライン・バッチの両方で改修な不具合がたくさん挙がるが、

バッチチームにだけ未伝達で、後から『なんで直してないの?』と

不利に立たされる状況が続いた

このときは、ホントにブチギレそうだった。

 

加えて、開発体制図をみたら、ボクはオンラインのテストサポートに

勝手に組み込まれていた。『は?知らないんだけど』

(当時はそれも兼用する余裕はなく、オンライン側の不具合調査をする、

『バグ発見係』という面でのサポートだけしました)

 

カラム:しまっちゃうおじさん

当時、ボク担当の不具合対応が勝手にクローズする事件が頻発しました。

調べたら、課長Kが締めていました。

不具合を悪い子と捉えてしまったのだと、ボクは確信しています。

ぼのぼのシマリスくんの怖いというきもちが、よく分かりました。

 

リリース・保守(ココロが折れたぞー!)

ギリギリまでバッチの製造・テストに没頭。

リリース当日、覚悟を決めて臨みました。

ちなみに、システム切戻は不可能でした。玉砕覚悟の正面突破です。

(もちろん、爆発しました。笑)

リリースから2週間は2日に1回はお泊まり会が続きました。

 

カラム:N回のSEKAI NO OWARI(N = 1, 2, 3, ...)

リリース初経験で、当日ひとりにされる。

システムオープン1時間前に、バグを見つける。

システムオープン直後、バッチが異常終了する。

...このときのボクは、N=∞だと感じ、生きている心地がしませんでした。

 

お泊まり会が終わり、ほとぼりが冷めはじめ保守に移行しました。

 一息つくと思いきや、ここからが一番地獄。

 

とある月末、ボク以外は別の案件に行くと、課長Kから指令がきました。

ボクは『え?』と思わず発していました。そう、ボッチ宣告です。

遠回しに『ひとりで全部見ろ』と言ってるもんでした。

(解放され満面の笑みを浮かべる同期Sを見て、無性に腹が立ちました)

 

Sの担当範囲は、主に夜間システムの集計プロフラムの全般でした。

ちなみに、ボクはそっちの範囲はほとんど分かりません。笑

また、リリース後大半の不具合は同期Sが担当範囲でした。

ちなみに、引継ぎもされませんでした。ふざけんな。

 

また、当時TLの上司Kが管理をしてましたが、この人も消える。

『管理は誰がやるんですか』と課長Kに聞いたら、『あとで伝えます』だって。 

その後しばらくしても、音沙汰なし。

この時期から『こんなふざけた会社辞めたい』と、強く考えるようになりました。

 

ここから1か月半持ちこたえ、ここで限界がきました。

つぶされる

当時はこれがアタマから離れませんでした。

 

辞めようと何度も考えましたが、当時は心身ともに疲弊し、

判断力が衰えていたことは、自分でもなんとなくわかっていました。

 

辞めるんじゃなくて、休職すれば?

ある日、別部署で仲の良かった同期Tからアドバイスされ、

『休むという手段』があることに気づかされました。

同期T、本当にありがとう。

 

通院(精神科・心療内科

休日に入ると、必死で精神科や心療内科を調べました。

ひたすら『きょう伺ってもいいですか』と電話していました。

(精神科や心療内科は、完全予約制の場所が多いと、この日知りました。笑)

空きを見つけて、急いで診てもらった記憶が、微かにあります。

※診察の記憶はほとんど残っていません。主治医から

 『一旦、会社を休みなさい』と伝えられたことだけ覚えています。

 

 

休職活動 

診断書を手に、1時間以上前に出社し、上司にメール。休職の旨を直接伝えました。

申請はあっさりと受理されました。なんか拍子抜け。

なんとか力をふり絞り、業務を引き継ぎ。

受理された翌日から、休職期間に入りました。

 

ボクとカラダの異変

カラダに起きた異変を書きます。こちらもざっくりと。

過敏性腸症候群IBS

これは新人研修のとき、わかりました。 

ボクの場合は、ガス・便秘型でした。

ストレス過多が続いたとき、この症状が起きました。

 

慢性疲労(特に頭痛、首・肩こり)

徐々に顕在化したので、いつからかわからない。

休日は1日中睡眠。良くても夕方ごろに起床。

本配属後は、ジョギングや外食でのリフレッシュ、

資格勉強が休日の日課でした。

常に終電、土日出勤が続くのに伴い、疲労が取れなくなり

夕方ごろまで睡眠が日課になる。

外食でリフレッシュだけは、なんとか続けました。

※休職直前は、これもなくなりました。ただ、寝てるだけ。

 

意欲低下

これは『もぐらたたき』が始まった後半ごろ。

とにかく、やる気が起きなかったです

ツギハギコードを眺め、ひたすらデバッグ。とにかく、嫌でした。

(仕事なので、最後までやり抜きましたが。)

私生活でもやる気が起きず、何もしていませんでした。

 

涙が出る

いつ頃発症したか、覚えていない。 

プラスの感情がはたらくと、涙が出るようになりました。

ココロに封をし、ひたすら論理的思考をし続けた結果、

情緒不安定になったと思っています。

 

集中力・理解力の低下(ミスの増加)

休職2か月前から。

ヒトの話やメールの内容が頭に入らない。

納期が近いのに、仕事に身が入らない。

書類や設計書、コーディングのミスが多い。 

 『あ、これダメだ』って思いましたね。笑

 

まとめ

 以上、ボクと社会人生活とカラダでした。

書き終えて、『言語化するとスッキリするな』と感じました。

うつ状態のヒトに自分の考えや感情を言葉にするのが効果的なのが、体感できました。

 

これを読んで、『あなたは甘えている!』と考える人もいると思います。

けれど、当時のボクは一杯々々だったのです。

ココロやカラダがおかしくなって会社を休むなんて、

考えもしなかったし、そうなるとも思っていませんでした。

『自殺を考えるまでに、自分を追い込む』まで重症に至らなかったのが

不幸中の幸いだと、今では感じています。

 

もし、これを読んでいるヒトが似たような症状に悩んでいるなら、

以下の2点を考えてみてください。

  1. 心身の異変に気づいたら、精神科、心療内科で診察してもらうこと
  2. 体の不調で『辞めたい!!』と思ったら、休職という選択肢もあること

 

以上です。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。